<江戸時代> 花魁(おいらん)用 襠(しかけ)[打掛] 一式
花魁(おいらん)は、最高級の遊女の呼び名で傾城(けいせい)、和尚(おしょう)、太夫(たゆう)
ともいいました。
花魁(おいらん)は江戸(東京)の呼称です。
「己(おいら)が太夫(たゆう)さん」から生じたといわれ京都では「此方(こっち)の太夫(たゆう)
さん」から「こったいさん」と呼ぶようになったと伝えられます。
太夫は、歌舞音曲はもとより生花、茶の湯、書、和歌など全ての学芸に
堪能な超美人でしたので、寛保の頃(1743年頃)の吉原の遊女二千人
のうち、太夫は二人であったといわれます。
それだけに衣裳は立派なものでした。
胴抜きと呼ばれる間着に、俎(まないた)と呼ぶ大きい前帯を結び、襠(しかけ)と呼ぶ打掛を
着ます。当時の最も豪華で高価な衣裳でしたが、足袋を履くことが禁じられ
「傾城は足袋屋にばかり借りはなし」という一句があります。